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2019/08/26 10:44


マズローの法則に表現されるように人間の欲求と言うのは段階的にそれを叶えようとする傾向がある。この点においては僕も賛同しています。
ただ一点付け加えるとすれば、人間と欲求の関係性には必ず水分が関わっている。

生理的欲求の全てに水分を欲した原始的な階層です。排泄欲は尿や糞、射精だけではありません。胃袋に危険を感じたときの嘔吐、悲しいとき嬉しいときの涙、おいしいものを見たときの唾液の分泌などもこの排泄欲に関係しているのです。

衣食住の全てを満たしたいという顕在的な欲求は健康につながります。健康状態とは、正常に体内の血液が循環している状態を指し示すとすれば、それもまた水分の移動を心地よいと感じる欲求あってのものでしょう。

セックスをしたいと感じるのも粘膜のつながり、ひいては水分の共鳴を欲しています。顕在的な欲求として性交渉があるのです。

つまり、人はセックスがしたいのではなくセックスの先にある水分同士の共鳴を欲している。そう考えればなかなか面白いのではないでしょうか。

厭らしい行為とレッテルを貼られがちな性交渉ですが、人が生物として存在を認められている以上その性には抗うことができません。受け入れるのが真っ当な価値観でしょう。

誰かに認められたいという欲求も水分の欲求と言い換えられます。『認められたい』ということは『見てほしい』と同意です。見るには眼の粘膜を通さない限り無理でしょう。それはスマートフォンの画面でも、紙に印刷された紙面でも同じです。

認められるには相手になってもらわなければいけません。
皆さんは同じ画面を見て眼精疲労になった事はありませんか。たった数時間の事なのに体には大きく負荷のかかる行為です。

それほど「見る」と言う行為はエネルギーを使うのです。

それほど膨大なエネルギーを使ってもらえると言う事は自分に対して存在価値があると認めるに値するでしょう。

だからこそ承認欲求は人からは絶対になくならないのです。

人間の体の70%弱は水分でできています。人間が水分の移動を欲する、または水分に対して執着するというのは至極当然のことなのです。